いぬかさブログ

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PTAでのお父さん同士のコミュニティー不全を考える

PTAでのお父さん同士のコミュニティー不全を考える

夫です。コミュ力高そうとよく言われます。

 
行事とかでたまに学校に行ったりしますと、同じく他の子のお父さんが来ていたりするわけです。
お母さん陣との比率で言いますと、お父さんの数は全体の1割程度で、まだまだ少数派です。私立とかになるともう少し比率は上がるのかもしれませんが、公立ですと全国どこでもこんなもんなのではないでしょうか。
 
毎回お目にかかるお父さんもいらっしゃるのですが、なんと言いますか距離感をはかりかねるケースがとても多く、いつも悩ましいなあと思うところであります。
他のお父さんがたとのコミュニケーションを試みるに、挨拶やら会釈やらまではよいものの、さあ会話をするぞとなると途端に様々なリスクが頭をよぎるわけです。
 
まずは、どの子のお父さんなのだろう問題。そもそも、かなりヘビロテで学校行事に出席でもしていない限り、自分の子ども以外の子たちの名前と顔がまるで一致しません。さらには、その子とそのお父さんを紐づけていくというのがこれまたむつかしい。紐づけられたとしても、良い目立ち方をしている子のお父さんへならまだ声のかけ方や言葉のチョイスが思い浮かびそうなものですが、悪目立ちしている子となると、無難でかつウィットに富んだ第一声を瞬発的にひねり出すというのは、かなりハードルが高いと思うのです。「◯◯くんのお父さん」と声掛けして、その◯◯の部分が間違っていたらどうしよう、などと思っている間に声掛けの機はすぎていくのです。そもそも、初対面で苗字以外の呼び方するのビビるわ。
 
そして、お父さんの所属や属性の問題。一般的にコミュニティーというものはなんらかの共通点があるのが大前提であって、学校やら職場やらが代表的ですが、お父さんがたに対して自分との共通点が見出せない雰囲気がありありと見て取れてしまうと、やはり声掛けの勇気というものはガリガリと削がれていくものです。社会に出ると初対面のご挨拶からのアイスブレイクなどは望まずとも多く経験するものではありますが、仕事モードオフの日に、名刺という武器無しの丸腰で、共通点が無さそうな人に話しかける、というのは根暗なぼくにはやはり気が重いものであります。子ども同士が同じ学校で同じクラス、という共通点はたしかにあるのですが、それだと会話の材料に乏しい。いや、学校行事への参加頻度が少ないから引き出しが少ないだけですね。すみませんすみません。
 
原始の時代、男は狩りに行き問題解決を中心としたコミュニケーション能力を身につけ、女は共同体で家事をする間に共感を中心としたそれを身につけたといいますが、農耕民族の日本人にもそれは当てはまるんですかね。自分とか妻とか見てると、どうやらその一般論が当てはまりそうな気もおぼろげながらしています。