いぬかさブログ

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お母さんが不機嫌な理由はこんなことだったりする

こんなことを書いて誰が読むのかなと思うけれど、次のアポまで1時間以上あるからつらつらと書いてみる。

 

仕事がつまらない。おもしろいことがひとつもない。生活していくために働かざるを得ないから働いているだけで、今の仕事にやりがいを感じたこともなければ、目標もロールモデルもない。

この状態がもう10年続いている。苦痛で苦痛で仕方がないというわけではないし、センスや才能が問われる仕事じゃないから、真面目にやればやれないことはほとんどない。5人家族が裕福じゃなくともなんとか不自由なく食べていけるのも今の仕事のおかげだ。

けれど、関心の持てないことに1日の大半を費やし、労力を捧げるのは長く続くほどにじわじわと心に暗い影を落とす。

人生を無為に過ごしているような虚しさ。そこから逃れられないやるせなさ。プライドも自尊心も年齢と共にすりへっていくばかりだ。

 

もちろん、毎日、仕事をしているのだからポジティブな感情がわく時もある。準備を進めていた企画が無事に終わり、評価が上々だったとき。コツコツ作った資料が思い通りに仕上がったとき。同僚や取り引き先との関係が良好で仕事が発展的に進んでいる時。ささやかな達成感や連帯感に癒される瞬間がないとは言わない。

が、しかし。やはり数日もすると、デスクの上で、はたまた会議や打ち合わせの場で、ふと目の前の仕事から心が離れる。

「こんなこと何の意味があるんだろう・・・」

そんな言葉ばかりが浮かぶ。自分のしていることが退屈で、くだらなく、誰の役にも立っていないと思えて仕方がなくなる。

 

そうなると、いつもの自傷じみたサイクルが始まる。

湯水のようにわき出るネガティブな感情をかき消すように脇目も振らず仕事する。無心で猛烈に家事をこなす。オンもオフも多忙にして余計なことは考えないのである。いや、実際にはそんな明確な目的意識はないような気がする。

もっと衝動的な、焦燥感にも似た感覚。

急がないからと後回しにしていたものをすぐにやり、念入りに掃除をし、求められる以上に丁寧に書類を作り、疲れているのに無理をして子どもたちとレジャーに出かける。そして、この期間、私は常に不機嫌で夫や子どもにささいなことで腹を立てる。

 

書いていて思うけれど、こんなの最悪だ。

サイクルはこの後、この暴走列車のような日々によって身の回りがきれいさっぱり整い、やるべきタスクは一つ残らず完了してしまうと終わる。「さっぱり」が私を前向きにし、私に落ち着きを取り戻してくれるのだ。

要は、ストレスがコップ一杯になると、病気にならないように力業でそのコップをぶちまけ、強制的に空にして、またドンッと心の中心に置く、そういうことだと思う。

 

なんという人生。こんなはずじゃなかったのに。いやはや「こんなはずじゃなかったのに」という台詞をまさか自分が言うになろうとは(心の中でだけど)。でも、同じような人はきっと少なくないのかもしれない。みんなどうしているんだろう。

こんな強引なリセットはきっと長くは続かないだろう。もし続いたとしても、その先にいるのは腐って醜く変わってしまった私に違いない。どうしたものか。一体どうしたものか。